チェコ探訪
プラハ観光案内
迷宮のプラハには、何がある!?
馴染みの少ないチェコ、プラハ。どんな所?何が有名? ブラーナの独自目線で、百搭の街プラハをご案内致しましょう。
チェコの歴史を見守ってきた、旧市街広場
世界遺産「プラハ歴史地区」の一部としてしていされている広場です。
まるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚える、ヨーロッパらしい広場です。時代を追うように、さまざまな建物が広場を囲みます。カラフルな壁画、ゴシック様式のアーケード、美しい飾り屋根・・・。
ここで見るべきは「石の鐘の家」。
この広場で、最も古い建物です。改築部分を剥がしていったら、こんなに古い壁が出てきた!というもの。13世紀ですから、地味な石の壁に、小さな石の鐘がついているだけなのですが、素朴ないにしえのヨーロッパを感じましょう♪
そして、天文時計。
ちょっとかっこいい!!文字盤の上に、毎正時に動くキリスト十二使徒のからくりがあります。
からくりを見ようと待ち構える観光客で、観光シーズンは通りをふさぐほど、観光客で溢れかえるスポットです。
十二使徒が順番に窓からのぞき、何故か“がい骨”(死神)が鐘を鳴らし、最後に鶏が一声鳴きます。そして観光客が去っていく・・・を繰り返しています。
からくり大好きのブラーナ店主も、最初は胸をときめかせて待っていましたが。江戸の精巧な「からくり」を知っている日本人には、少し物足りないような…。
もちろん!一度は見ておきたい時計です。
季節を表した下の盤など、とても美しいです。
いつかは、この天文時計を読みこなしたいものです。
広場の中心には、チェコ人の英雄「ヤン・フス」の像。
「鎮座」でもなく、「立って」でもなく、広場を歩きまわっていそうな像なのです。
堕落したカットリック教会を批判したため、異端として火あぶりに処せられた15世紀の宗教改革者。
それから500年後、アールヌーボー様式の美しいブロンズ像がここに建てられました。
当時の写真をfacebookdeで見つけました。戦争で爆撃される前の壮麗な市庁舎の前にたたずむヤン・フス。
市庁舎以外は今と変わらないのですが、それはそれは美しい光景でした。
旧市街広場 パノラマ
瀟洒な館、中に入るとゾッとするほど豪勢なバッロク教会、入り口の見えない不思議なティーン教会。
写真左、天文時計のある搭は、もとは立派な市庁舎に付随していました。プラハにおいて、ナチスの攻撃にあった唯一の建物で、その忌まわしい記憶をとどめるため、あえて再開発はせず、木々の植え込みとして残されています。
旧市街広場からは放射状に通りが伸びています。
最も美しいのが、パリ通り。
19世紀末、不衛生極まりなかった地区を一掃し、再開発により装飾に満ち溢れた建物が並びました。
どれほどの財力があったら、こんな建物を建てられたのでしょう。
競うように建てられたに違いない建物を仰ぎ見ながら、ため息が出てしまうような華麗な通りです。
その地区とは、ユダヤ人街です。
プラハには古くからユダヤ人が住んでおりました。
歴代の王もユダヤ人から融資を受けるほど、富裕層が多くいましたが、やはりここでも隔離され、居住を許された地区にひしめく様に住んでいたそうです。
ヨーロッパでも最古というユダヤ教会をはじめ、煌びやかなモザイクが美しい教会まで、この地区にはいくつものユダヤ教会があります。
区役所の時計は、ヘブライ数字の文字盤で針が逆周りのユダヤ式。独特の形をした屋根を持つ時計搭など、このあたりはプラハの中でも異文化の香りが漂います。
ヴルタヴァの流れとともに
旧市街をとり囲むように流れているのが、ヴルタヴァ川。
ドイツ語名のモルダウ川の方が知られています。
スメタナ作曲「わが祖国」の第2楽章、
「ボヘミアの川よ~、モルダウよ~♪」と歌われている川です。
流れのゆるい川には白鳥が浮かび、
緑の樹々の間から両岸に並ぶ美しい建物がのぞきます。
本当に、素敵な!景観です。
川は茶色く濁っていますが、それは泥だといいます。夏場は、水泳大会も行われ、ゴーグル1つで泳いでいましたよ。
普段は穏やかな川ですが、時々洪水を起こします。
もともと、洪水になっては土地が肥沃になり、人が集まって町が形成されたところだそうです。
そのヴルタヴァ川の岸辺に建つ、国民劇場。
遠くから見ると、黄金の冠のように見えます。
正面はカメラに収まらないのですが、石造りのどっしりとした造り。上の方に立派な馬車の像があります。
かなりの迫力ですが、残念ながら立地上よく見えません。
“チェコのプラハ”とはいうものの、300年にわたり他国に支配された過去を持ちます。街に残る美しい宮殿や教会も、ドイツ系、スペイン系貴族などのものであったりします。そのあたりを、どのように捉えたらよいのか悩むところです。
作曲家モーツァルトを描いた映画「アマデウス」で舞台となったエステート劇場は、ドイツ語で上演される、ドイツ人のための劇場です。
チェコ語を禁止されていたチェコ人は、チェコ語による、チェコ人のための上演を!との思いから、すべての資金をチェコ人の寄付により、国民劇場を完成させました。
しかし、公開前日、火災により消失してしまいます。
放火が疑われますが、真偽は明らかではないようです。しかし、そこで負けないチェコ人!! 再度、寄付を募り、わずか2年で再建してしまったのです。
1883年のこと。チェコ人の思いのすべてが詰まった劇場だったことは確かですが、それにしても、もの凄い資金が出てきたものです。
当時、チェコ人による産業が急速に成長し、チェコ人資本家や企業家が、ドイツ人資本家と肩を並べるほどになっていたそうです。そうした経済的後ろ盾が、民族運動を後押ししていたとのことです。
劇場内部は、真っ赤な座席シートに、黄金の飾り、すばらしく絢爛豪華な内装です。
丘の上の城へ
旧市街は川べりの低い土地で、まわりを丘に囲まれています。
その一番高いところにプラハ城は建っています。
夏場は少々暑い旧市街に比べ、風の通りぬける高台は、プラハの街も一望できる気持ちの良い場所です。
中央にそびえる2つの搭はビート教会であり、旧王宮を含めプラハ城自体の外観は、城下の貴族の館に比べても、以外にもシンプルです。
ですが、現在でも一部は大統領府として機能している、現役のお城です。
内部は、森林地帯を抱えたボヘミアらしく、木材が多く使われています。特に、木の天井いっぱいに描かれた各貴族の紋章などは、中世ヨーロッパを感じるところでした。
絢爛豪華な宮殿生活ではなく、宗教を使い、そして地方貴族をまとめながら行う、政治の場としての城が見られます。
城のきわにある階段。
この下に地下鉄の駅がありますが、
ここを登ってくるのは賢明ではありません。
この急勾配はかなり、きついです。
その後のお城見学が、どうでもよくなってしまいますから、
別ルートで行きましょう。
トラムで一気に丘を登り、帰りはふらふら歩いて下るのがおすすめです。
キュートな赤いトラムが、 丘の上まで運んでくれます♪ | こんな観光トラムも 走っています。 |
プラハ城正門。
若い衛兵が2人、一応?門番をしています。
群がる観光客に写真を撮られても、
微動だにせず、決して笑うことはありません。
観光の街、プラハ。
彼らには“顔審査”があるらしい!?
噴水のある中庭を通り、通路をくぐると、
どーん!と現れる聖ビート教会。
真っ黒だった外壁が、近年、高圧洗浄をかけられベージュ色になりました。
上の方、もうちょっと…と思うのは私だけでしょうか?
右手にもまわってみて下さい。
本来は、右手側が正面だったそうです。
キレイになって、モザイク画もよく見えるようになりました。
中に入り、少し進むと左手に雰囲気の違うステンドグラスが見えてきます。
アルフォンス・ムハがデザインしたステンドグラスです。
ここにだけ人が群がっているという程でもありませんので、
見逃さないよう、しっかり探しましょう。
ムハ(ミュシャ)好きは、日本人が突出しているのかしら?と思ったり。
壮麗な内陣。
プラハの春音楽祭において、ここで開かれるコンサートは超人気です。
音響設備の整ったコンサートホールとは違った、独特の響きが素敵でした。
つづく
- 2021.11.13
- 18:12
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